2011/03/03

2月19日〜28日

2月19日
松岡正剛さんの関係するビデオ収録のため東京に行く。
松岡事務所で、私がひとりでセイゴウさんの大仕事「千夜千冊」について語る手筈が、結果的に、セイゴウさんとの対談にまで発展してしまう。
その後、銀座のBLDギャラリーで、「肖像 経済、その他」展の打ち合わせ。
ヤノベケンジさんに久しぶりに会う。今、同ギャラリーで個展中の中平卓馬さんにも会う。

2月22日〜24日
「カラヴァッジョ/メデュウサ」のためのヘビの作り物(ワニトラ/田中さんの力作)と背景の彩色を行う。ひさしぶりに絵を描く感覚は楽しい。
11年2月22~24日
*写真は、カラヴァッジョ原画と、彩色中のヘビ頭と背景

2月25日
東京に行き、昼食を取りながら、佐谷周吾さん、中澤章生さんと、「肖像 経済」展の打ち合わせを行う。
その後、日本橋高島屋で、別件の打ち合わせ。高島屋創業180年を記念して、記念作品を私が制作することになり、その打ち合わせである。私は北野恒富の描いた女性像をテーマにしたいと考えている。
高島屋を出て、シュウゴアーツへ。トップアート/泉沢さんと、「カラヴァッジョ/メデュウサ」の額装の打ち合わせ。その後、東京大学の小林康夫教授と学生さん達とギャラリーで懇談。
夕方、一路新宿の京王プラザホテルでの細江英公さんの文化功労者顕彰のお祝いパーティに列席。夜遅く、大阪に戻る。

2月26日
兵庫県立美術館で、やなぎみわさんとのトーク。トークの後も、やなぎさんと長時間話をする。なにか肝心の重要な話はまだしていないように思える。それは今後のことだろう。

2月27日
カラヴァッジョ/メデュウサの本番撮影を午前から、夜遅くまで実施。
11年2月27日
*写真は、試行錯誤のポラロイド。

2月28日
日曜美術館のレンブラント特集に出演依頼があり、その打ち合わせをする。
1994年に「レンブラントの部屋」展を原美術館で開催したのだが、あれからだいぶん年月が経ち、私のレンブラント論もだいぶん変わってきた。そのあたりもテレビで話せたらいいなと思う。


2011/02/16

1月29日〜2月15日

1月29日、大阪梅田にあるNHK文化センターのスズケン講座にて講演。新しく建った梅田阪急ビルオフィスタワーの17階にある。15階で一回エレベータを乗り換えるのだが、15階までのエレベータが巨大である。一瞬、エレベータ内に入っても、まだそこはエレベータの前室であるかと錯覚したほどだった。

2月3日、午前に日経新聞の中野稔さんによるインタヴュー。午後からふくやま美術館に巡回する「モリエンナーレ/まねぶ美術史」の打ち合わせ。いずれも大阪の仕事場で。

2月4日、NHKのBSではじまる新番組「美の響宴」の打ち合わせ。テーマはフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。

2月5日、午前中に、大阪天王寺で「ミオ写真奨励賞」の受賞作を選定。午後から授賞式と審査員によるトーク。夕方からは入選者や審査員らが集まりパーティ。

2月6日、新作カラヴァッジョの「メデューサ」の実験。紙幣を使った作品のための撮影などを行う。紙幣作品では、三億円犯人とガンジーとしての「私」を撮影。
DSC_7421s
* 写真は、「メデューサ」の実験写真。本番撮影は2月27日に実施予定。

2月7日、篠山紀信さんから電話あり。例のNHKのBSの新番組「美の響宴」で、篠山さん、フェルメールの絵のような写真を実際に撮りながら、フェルメールを語るのだと言う。難しそうだが、観てみたい。篠山さんはどんなふうにフェルメールを料理するのだろう。

2月9日、「大阪観光」本の打ち合わせを、北浜のUMAデザインで。何人かでページを担当している、美術家による大阪案内本であるが、私のページだけが遅れている。なんとか挽回。

2月15日、お昼前から兵庫県立美術館へ。お昼を、館長の蓑豊さんと建築家の安藤忠雄さんといっしょにとる。偶然、美術館を訪ねて来られた姜尚中さんと再会。日曜美術館収録以来である。
午後から、朝日新聞の森本俊司さんによるインタヴュー。親鸞と悪について、である。難しいお題であった。
夕方から、美術館でNHKのラジオ深夜便の収録。西橋アナウンサーとは、十数年ぶり。あいかわらず、ソフトないい声だった。


2011/01/27

1月14日〜25日

14日から、兵庫県立美術館での「なにものかへのレクイエム」展の展示が始まる。順調に進み、17日に完了。1月17日は
神戸で1995年に地震が起きた日。美術館の横に防災センターがあり、多くの人々が近辺に集まっていた。

18日朝にオープングセレモニー。いよいよレクイエム展最後の巡回地での展覧会が始まった。

23日、兵庫県立美術館にてレクチャーを行う。サイン会も行う。その後、別件で夜遅くまで打ち合わせ。ふらふらで帰宅する。

25日、東京プリンスホテルで、毎日芸術賞の授賞式。山積する仕事をうっちゃって出席。いい授賞式とパーティだった。多くの人々に感謝。
日帰りで夜遅く帰阪。
受賞者側から式場の光景を撮る。
カメラの砲列。見られる側からの見返すカメラアイ。

110125授賞式
「受賞者側からみた撮影風景/2011年1月25日 東京プリンスホテルにて」


2011/01/15

2011年1月11日

京都の中信美術館(母体は京都中央信用金庫)で、「梅原猛と10人のアーティスト」展が開催される。9時半からテープカット。梅原先生はじめ、全員出席する。2011年より京都市立芸術大学の学長に就任する建畠氏も列席。「こうしていると、だんだん京都人になって来る気がする」とは建畠新学長の弁。
テープカットの後、広く開放的な談話室にて歓談。梅原夫妻と出品者達とで、「雲月」にて昼食。その席で、来年はみんなで「梅原猛をテーマにした作品を」という提案も出る。「遊びの精神が大事だ」というのが梅原流の芸術学の中の重要な要素としてあるようだ。「死に物狂い」と「遊び」。これは紙一重なのであろう。
110111_中信美術館
*写真は、中信美術館でのモリムラ作品の展示風景。立体作品は松井利夫氏の作品。


2011/01/11

2011年 1月9日

制作チームが集合し、今年最初の打ち合わせを行う。テーマは、カラヴァッジョの「メデューサ」である。
頭が蛇になっている。この蛇をどうやって制作するかで、議論が長引く。背景が凹面状態になっているとの
指摘があり、これも採用。
また絵の持つ飛び出し感は、ステレオ写真で見せるべきかというアイデアも出る。私自身は、これは鏡に
映ったカラヴァッジョの自画像ではないかという感じがしている。ならば、この絵は鏡像ということになる。
この絵の中の顔の持つ歪み感は、像が左右反転した結果だととらえれば、納得が行く。
いろいろな考えが出てきたので、これらをまとめて作品化するつもりである。

カラヴァッジョ025


2011/01/03

2011年元旦

11月、12月と忙しく、「ときおり日記」が「ひさしぶり日記」となって、すでに年は変わって、2011年。
昨年の暮れ、大阪梅田の阪神デパート地下一階に、行列ができていた。ガトーフェスタ ハラダのラスクを買い求める人々だった。ガトーフェスタ ハラダの本店は群馬にある。大阪では阪神デパートしか売っていない。その行列は、なんと80分待ちだった。
同じ年の瀬に、私の家から徒歩で15分ばかりにところにある菓子屋で、ガトーフェスタ ハラダのラスクを買った。昔ながらの菓子屋で、ガラスケースにパンがあったり、棚にスナック菓子やグリコの製品などが置いてある。この店に、そういう他の商品に混じって、ハラダのラスクが置いてあった。類似品ではない。だが値段も阪神デパートより安かった。初老の女性が出て来て対応してくれる、懐かしい雰囲気の個人商店。お客は誰もいなかった。
80分待つのなら、梅田からこの店に来て、再び梅田に戻れる時間である。
誰も知らないガトーハラダの売っている店。こういう情報を、こういうふうに公表していいものかどうか迷ったが、面白い発見なので、元旦の日記とした。でももしかしたら、こういう情報はネットですでに出回っているのかもしれない。あるいは、大騒ぎしているのは大阪だけで、全国的にはあまり盛り上がらない話題なのかもしれない。


2010/11/03

11月1日

東京へ行く。
午後イチで汐留の共同通信で打ち合わせ。
続けて青山の岡本太郎記念館で平野暁臣さんと会う。
共同通信からの依頼で、来年生誕100年を迎える岡本太郎をテーマに、私が新年特集号のビジュアルを担当する。私はタロウ作「傷ましき腕」をテーマに作品を作ることにした。この件で平野さんとお会いしたのだった。
101101汐留
*写真は共同通信社からのながめ。何本もの鉄道が走る様が一望でき、鉄道マニアには応えられないだろうなあと話が盛り上がる。

青山から横浜へ。バンカートで溝端さんと打ち合わせ。大野慶人さんも同席してくださった。12月の大野一雄フェスティバルの中で、「ラ・アルヘンチーナ」を何人かでリコンストラクションするという催しがあり、私も参加することになった。その打ち合わせと下見である。
101101横浜
*写真はバンカートからの横浜の夕景