2013/10/01

2013年9月27日

資生堂ギャラリーでの個展、内覧会の日を迎える。
午前に資生堂の皆さんにギャラリーツアー。
午後から、2誌取材。そのまま内覧会に。
アラーキーさんが夕方に来訪。その後人が増え満杯に。
9階と8階にレセプション会場が作られていたが入りきらない。
9階で、開会のセレモニー。
前田資生堂社長、ナバロスペイン大使のスピーチの後、私もスピーチ。
10月1日からアメリカに行く。
それまでの数日間でやること山積だが、まずは資生堂ギャラリーがオープンして安堵。
いい展覧会になったと思う。
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2013/09/26

2013年 9月25日

  早朝から大阪を出て、東京へ。雨。寝不足で新幹線ではずっと寝てしまった。
資生堂ギャラリーの展示はじまる。展示はいたって順調。さまざまな問題をクリアしてここまで来た。
苦労の連続だったから、順調にいくとなんだか急に不安になる。
取材後、完成前の資生堂本社ビルにあるレクチャーホールも見学する。
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2013/06/08

「ときどき日記(ベニスへの旅)」 5月28日〜6月7日

5月28日
関空11時30分発のエアフランス機、少し揺れるが定刻より30分早くシャルルドゴール空港着。2Eから2Fターミナルへ移動。ベニス乗り継ぎに4時間待ち。眠気が襲う。
ベニス・マルコポーロ空港に着いたのは28日の午後11時半。
KLM機でほぼ同時刻着の横浜美術館の逢坂さん、柏木さん、ウーファードキュメンタリーの岸本さんらと落ちあう。前日入りの横浜チームのお出迎え。水上タクシーで一日目のホテル GRIMANIへ。前日入りの大舘、マチュー、秋ちゃん一家にこんばんは。
就寝午前1時半。

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写真00:雨のベニスに到着

5月29日
7時半起床。
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*写真01:ホテルGRIMANIの朝。

いくつかの夢を見る。
背中に傷をつけ文字を刻む女性の美術家。
街のひっそりした路地で、まったく認められない自作の演劇の宣伝のため、プラカードを持ち続ける男性。
スロベニアの小池健輔さんとホテルにて落ちあい、今日から3日間宿泊予定のホテル、リスボナへ移動。ベネチアビエンナーレ会場、ジャルディーニの日本館前で横浜トリエンナーレチームと合流。各国パビリオンを回る。
南條史生、三木あき子、逢坂恵理子、そして森村という歴代の横浜トリエンナーレ関係者がなぜか韓国館で出会う。
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*写真02:向かって左から、逢坂さん、三木さん、南條さん、そして森村

フランス館、ドイツ館、アメリカ館、イギリス館などからはじめ、しらみつぶしに見て行くが、あまり感動はない。オランダ館、チェコ+スロバキア館が気になった。
イタリア館(ここはイタリアのパビリアオンではなくテーマ館で、アーティスティックディレクターの主張性を出す重要な場所)をじっくり鑑賞。物質ではなくイメージに軸足を置いた展示。
大竹伸朗の本の作品。日本で見るのとはまったく違って見えて興味深い。
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*写真03:アメリカ館展示

夕刻、三嶋りつ惠展会場に向かう。クラシックなパレスにガラス作品が並ぶ。美しい展示。
中庭にパーティ会場が設営されていた。突然雨。それもまたベニス。
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*写真04:三嶋りつ惠展より

8時頃から移動。ベニス料理のリストランテでパーティ。小池一子さん、小林正人夫妻らと話をする。もちろん三嶋りつえさんとも。
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*写真05:パーティでの美味なベネチア料理

パーティはまだまだ続いていたが、途中で退席し、夜遅くホテルに戻る。
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*写真06:ホテルへの帰り道(撮影 小池健輔)

6月30日
9時半から横浜トリエンナーレチームとのミーティング。その後、小池健輔さんとビエンナーレのもうひとつの会場であるアルセナーレに行く。古い造船場跡の広大なスペースである。1988年に私が参加したのもこの会場だったが、今はさらに多くの敷地が使われている。
こちらもアーティスティックディレクターの腕の見せ所。シンディ・シャーマンが自作のソースになったと思われる秘蔵アルバムを展示がよかった。シンディのやりたかったことの原形がここにある。

アルセナーレのさらに奥には、南米、中近東、東南アジア、中国などの展示。
中国の展示は最悪。今は公表出来ないが、会場にて数名の作家と立ち話。ヨコトリ出品を前提としての話である。

夜、ホンコン館リー・キットのパーティに出席する予定だったが、疲れがたまり辞退。
小池健輔、岸本康、そしてベルリンから来た渡辺真也らと意見交換。

5月31日
午前から、プラダファンデーションの展示を観に行く。小池健輔、渡辺真也が同行。
1968年に開催され、その後の美術の動向を作ったとされるハラルド・ゼーマンの有名な展覧会「態度が形になるとき」を再現した展示。ボイス、セラ、マリオ・メルツら、今は巨匠だが、まだ若かった頃の当時としては冒険に満ちた試みだった。
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*写真07:プラダファンデーション、会場入り口

1968年当時、「作品自体ではなく、制作する態度自体が形になる、あるいは形にすべき」そういう時代であった。今はどうか。「態度がもはや形になりえない」時代? 

午後、渡辺さんと別れ、小池健輔とともにアルセナーレの見落とした作品を観に行く。
その他、ベネチアの各所で開催されている新しいパビリオンや関連展があり、すべてを見る事は不可能だが、いくつかをチョイス。スロベニア館で、一色よしこ、大舘奈津子さんと合流。小池君参加のグループ展を観たのち、リドに渡り、日本館・田中功起さんのパーティに主席。田中功起さんの他、ホンコン館のディレクター、ラルス・ニッテバに会う。20年ぶりかもしれない。その他、オーストラリアのニューサウスウェールズ美術館のジュディ・アニアー、MOMA のバーバラ・ロンドンらにも会う。ビエンナーレとは、こうしたいわゆるアートピープルの社交場であり、ロビー交渉の場でもある。ともかくいろいろなひとに会う。
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*写真08:日本館パーティ会場にて

途中でパーティ会場を出て、ベネチア本島のリストランテでやっているという大竹伸朗のパーティ会場へ行く。大竹にあって、なんとなく友情を確かめあう。
そのあと、すこし離れた島に渡る。スペイン館の大きなパーティ。この会場でマドリードでいつもお世話になっているギャラリーのホアナさんに会う約束だったのだが、どうも来れなくなったらしい。いたしかたなく、一色、大舘、小池健輔らとパーティ会場のブッフェで腹ごしらえだけして、また船で帰る。雨が降り出す。たまたまパーティ会場でタイのビエンナーレのアーティスティックディレクターに会う。

6月1日
ホテルがまた変わる。ロンドラパレスに移動。眺めのいい部屋。
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*写真09:ロンドラパレスからの眺め

午前中に、若い作家対象のフューチャーズプライス展を観に行く。けっこうおもしろい。
午後からはクロワッサンプレミアムの取材が開始。担当編集者の齊藤賢治さん、コーディネーターの坂本きよえさん、写真家のFrank Vaughanさん達と落ちあい、打ち合わせ。まずは島全体が墓地となっているサンミケーレ島に行く。小池健輔さんも同行。ディアギレフやストラビンスキー夫妻のお墓にお参りする。
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写真10:サンミケーレにて

6月2日
早朝6時半から、ドウカーレ宮殿の、ベロネーゼとチントレットを取材。無人の宮殿内を見て回るのは贅沢至極。
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写真11:ドウカーレ宮にて

お昼は、ハリーズバーにて。有名なカクテル、ベリーニ。ミラノ料理の牛の骨の髄を煮込んだリゾット(オッソ・ブーコ)などを食す。これも取材。
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写真12:ハリーズバーで食したオッソ・ブーコ

午後からは、ビエンナーレ会場の取材。
その後、アマンリゾートがベニスにオープンしたというホテルにて夕食取材。
一泊最低1000ユーロ、最高の部屋は3500ユーロ。パレスを改装した豪華ホテルである。
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写真13:アマンリゾートのホテルにて

夕食は美味。
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写真14:ズッキーニの花を食材にしたオードブル

6月3日
朝から強行軍で、ベネチア派の絵画鑑賞素材を行う。
フラーリ教会のベリーニ、ティッツアーノ。
お隣のサンロッコでは、ティントレット。
お昼をはさんで、ジュスティアーノにて、ティエポロ。
途中で、ジャンドウイオットのジェラートを食す。ナッツ入りのチョコアイスが美味だが、上にたっぷりかかるホイップ状のクリームが濃厚すぎて、全部は食べられない。
ジャラートを食べたあとは、アカデミア美術館へ。
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写真15: ジャンドウイオットのジェラート

アカデミアでみたベロネーゼとジョルジョーネ素晴らしかった。なんだかティントレットがだんだん下品に感じられて来る。
予定より早く取材が終わり、ベネチア刺繍の店に走る。5時には閉店で、これでじつは三度目のトライ。やっと店にはいれる。もう本格的なベネチア刺繍の職人さんは数人しかおらず、みんな高齢だとのこと。すたれいく技術。もったいない。
今宵が最期のベニス。齊藤さん、きよえさん、フランクさん、そして小池のケンちゃん、お疲れさまでした。そしてありがとう。というわけで夕食は楽しく終了。

6月4日
午前7時半、水上タクシーでベニスマルコポーロ空港へ。
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*写真16:さらばベニス

パリ着後、すぐにラビレット地区のホテルにチェックイン。某作家のアトリエに、パリ先着の横浜美術館の天野さん、ブリュセルからの大舘さんらと訪問。出品交渉。
その後、国立図書館の展示室で開催の、ギー・ドウボールの資料展を見て後、天野さんはジュドウポンヌへ。私と大舘さんは、マレー地区のタディウス・ロパックギャラリーに行き、ひさしぶりにエレナに会う。
7時前、天野さんとも合流して、クスクスを食す。

6月5〜6日
午後のフライトでシャルルドゴールを発ち、6日の関空着。疲労がドッと出る。
日本は、知らない間に、とんでもなく蒸し暑くなっていた!!


2013/05/27

2013年5月

5月12日
横浜美術館の天野さん他が来訪、大阪にてヨコトリ関係の打ち合わせ。

5月13日
昨日に引き続き、ヨコトリ関係の打ち合わせ。
委員長で横浜美術館館長の逢坂さんも加え、大阪大会議。
ここで、ヨコトリタイトルをやっとフィックスさせる。
長いみちのりだった。

5月14日
横浜美術館にて、関係者全員に集合してもらい、「ここからほんとうに出発!」と、
出陣式めいたスピーチを行う。
そのあと、資生堂ギャラリー個展のために打ち合わせをロイヤルパークホテルのティールームにて行う。こちらもだんだん火はついてきた。

5月16日
京都市立芸大に行き、資生堂ギャラリー個展のための撮影について関係者と打ち合せ。
大学のスタジオを借りて、公開制作を含む授業として撮影をするという試みを提案。

5月17日
梅原猛脚本の「スーパー能 世阿弥」を大阪の新しくなったフェスティバルホールで観劇。
梅原先生からのご招待。

5月18日
豊田市美術館の都筑さん来訪。豊田市美への作品寄贈による「紺綬褒章」を授与。
その賞状、杯、メダルなどを持参していただく。

5月21日
横浜美術館円形ホールにて、ヨコトリ2014の第二回記者会見。タイトル、コンセプトを発表。「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」。これがじわじわと広まって行くといいなと思う。

5月22日
汐留の資生堂にて、個展のためのカタログの打ち合わせ。
そのあと、汐留のパークホテルにて、幻冬舎から刊行予定の「ゼロからの知識シリーズ」、フェルメール入門書(でも深読み)の打ち合わせ。

5月24日
資生堂個展のための手の型取りを行う。
ラス・メニーナスの王女とフェリーペ4世の手。

5月25日
資生堂個展のための打ち合わせ。
フェリーペ4世の長い足、王女の小さな体をどうするか、実験様々。なんとかメドがたつ。
フェリペ脚 王女マネキン
*写真は、フェリーペ4世とマルガリータ王女のための実験(撮影 福永一夫)。

5月27日
明日からベニス〜パリ。
昨日からやっとその準備にはいる。
10日間日本をあけるので、この間に進めるべきことをメールで打ち合わせしたり、宅配で送ったりしておかなくてはならないのでおおわらわ。


2013/05/07

2013年4月

4月初旬
ドバイ〜シャルジャから帰国後、懸案のヨコトリのタイトル&コンセプトの一件が頭から離れない。ずっと頭の中にある。

4月1日
ふくやま美術館の平泉さん来訪。寄贈作品についての詳細をとりまとめる。

4月10日
東京出張。さまざま打ち合わせ。
やっと冬から春へ。花々が咲き始める
イケル1
*写真は「庭の花を活ケル1」

4月13日
大阪にて、資生堂ギャラリー個展作品のための衣装仮縫い(二回目)、その他小物、大道具などの検討を行う。
作品の中に「フェリペ4世夫妻」が登場するのだが、このふたりのプロポーションが、どう考えてもヘンである。頭が極端にちいさく、手足が長い。私の体にあわせていると、まったく雰囲気がでないから、異常にいびつな服を作らなければならない。それがおもしろいのだが、現実化するとなるとなかなか難しい。
テーマとなるベラスケスの大作「ラスメニーナス」には犬が登場する。これをどうするか。
ディテールを詰めて行くのは楽しいが、結論はすぐには出て来ない。

ゼラニウムがどんどん花を咲かせる。
イケル2
*写真は「庭の花を活ケル2」

4月14日
明日のトリエンナーレ第三回内部会議の準備にあけくれる。三回目で、なんとしてもタイトル、コンセプトを決定しなくてはならない。

4月15日
三回目のトリエンナーレ内部会議。なんとかホップ、ステップ、ジャンプで決める。
そのあと、資生堂個展の打ち合せ。ビューティサイエンス研究所の計良さん達とおもにヘアスタイリングについて話し合う。その後、銀座の資生堂ギャラリーにて、様々の打ち合わせ。別件で来られていた仲條正義さんに久しぶりにお会いする。

4月17日
スロベニアから一時帰国の小池健輔さん来訪。

4月20日
資生堂ギャラリー個展のための小物などについての打ち合わせ。
特に、ラス・メニーナスのベラスケスの前に設置されたカンバス。マルガリータが持つ赤い容器。これはどういうものかと議論が続出。いくつもの発見がある。

4月21日
広島のヒロセコレクションへ、スタンリー・ブラウン展を見に行く。
そのあと、広島市現代美術館へ。
「日本の70年代」展観賞後、林道郎氏のレクチャーを聞く。その他打ち合せなど終了し大阪に戻る。

4月25日〜26日
大舘さんとウォーホル美術館での個展内容についての打ち合わせののち、
大日本印刷にて、プラドで撮影したポジの加工を行う。
翌日、銀座のマガジンハウス本社へ。ベニスでの取材の打ち合わせ。
午後は、同社でブルータス取材。古本に関するテーマ。


2013/03/31

2013年3月17日〜30日

3月17日〜18日
17日23時40分発のエミレーツ航空でドバイに飛ぶ。
消灯すると天井が星空になるジェットは、「月の砂漠」を連想してしまう。
18日、午前6時前、ドバイ国際空港に到着。大舘さんと待ち合わせてホテルに向う。
少し部屋で休み、午前10時からバスで、ドバイ市内のギャラリー見学などを行う。アート・ドバイ(ドバイ アートフェア)の企画。

写真1
写真1 ギャラリーツアー/某所にて

夜9時半、横浜美術館の天野太郎さん、ホテルに到着。天野、大舘、私の三人で食事。酒類は市内には基本、どこにも売っていないし、レストランでも飲めない。
写真2
写真2 ドバイに咲くブーゲンビリア

3月19日
午前10時から、建築バスツアーに参加。ドバイ市内を巡る。これもアート・ドバイの企画だが、建築ツアーというよりは、ほとんど東京のハトバス観光だった。午後からは、巨大なドバイ・モールなどをすこしだけぶらつく。
写真3
写真3 ドバイの摩天楼

夜7時から、アート・ドバイのプレヴュー。大勢のひとでごったがえしていた。ここには酒類がある。シャンパンを飲む。いくつかの作品をチェックリストにのせる。
夜遅く、天野、大舘、私の三人で夕食。ホテルと連携するガーデンスタイルのレストランのため、飲酒がOK。ビールとワインをいただく。

3月20日
朝早くからシャルジャに行く。シャルジャ・ビエンナーレを見る。長谷川祐子さんのキュレーションで、おおきく3箇所にわかれて展示が展開する。
事務所で、シャルジャの王女様にお会いする。陣頭指揮で活動されているのが素敵だった。あとで、会場でギャラリーツアをなさっていたのも目撃した。
ビデオ作品が多く、見るのに時間がかかる。暑いが不思議と汗が出ない。大きなタオルを準備したが不要だった。
単に乗り合い舟に乗って、向こう岸に渡りアイスクリームを食べるというだけの、島袋道浩さんの「作品?」もあった。
会場で、かつて原美術館にいた、ジュディス・コナーグリアさんに会う。シャルジャ・ビエンナーレの広報担当を受け持っているのだそうだ。
午前からまわり、夜の七時までみっちり作品鑑賞。大舘さんは、展覧会に行くと、アドレナリンが体内に充満するという。スゴイ。私はやはり「見る」より「作る」の人か。いや、「作る」より「妄想」のほうが好きかも。
夕食は、天野、大舘、私とでシャルジャの魚料理の店へ。偶然、同じ店で長谷川祐子さんに会って驚く。

3月21日〜22日
予定に「22日午前3時」のフライトとあったので、22日の深夜=23日の早朝と解釈してしまい、まだ一日あると安心していたら、もう21日の夜の出発だとわかり慌てる。大急ぎで荷物をスーツケースにつっこみ、21日の予定をこなす。
天野、大舘、森村の三人で、ドバイのギャラリーエリアを見学。
行く所すべて車しか行けず、なかなか要領を得ない。こういう時、天野さんには特異な才能がある。なにげなく声をかけて知らない人の車に途中まで同乗させてもらったり、ふと目があったドライバーが車を止めてくれたりする。最後の目的地、「Traffic」というギャラリーに行く時もそうだった。路頭に迷っていると、天野さんと目があった車が止まってくれた。大雑把な地図を見せると、行ってみようということなったが、行けども行けども目的地にはたどり着けない。親切なドライバーもだんだん気が立って来る。しかしここで降りるわけにもいかない。降りたら、完全に路頭に迷うことになる。だんだん夕暮れになってくる。
しかしついに、「Traffic」という看板が目にはいった。
写真4
写真4 「Traffic」という看板

「Traffic」は、芸術と政治の関係をあつかうプロジェクト集団であるということが、行ってみてわかった。実際に「New World Summit」という会議をベルリンその他で開催し、それらがこのチームの「作品?」だということのようだった。
写真5
写真5 「Traffic」にて 

午後9時すぎにホテルを出て空港へ。
夜になってもドバイ空港は人がいっぱいだった。
たくさんのお土産物屋が並ぶがイマイチな感じ。
シャルジャあたりの荒物屋さんとかにあったエスニックな魔法瓶とか、買っておけばよかった。お土産はそのとき買わなければもう手に入らない。これ、鉄則である。

22日
午後5時すぎ、関空に到着。
ドバイにはいって二日くらいは、まだ花粉症の影響が残っていた。
しかしその後、花粉症は消えていた。
風が吹くと砂塵が摩天楼の町並みに舞う。

24日
国立国際美術館「WHAT WE SEE」展、最終日にやっと見る。
30日
京都市立芸術大学のギャラリーアクアで開催中の「犬と歩行視」展の関連イベントに参加。
目を閉じると、様々な知人の声。その声は、何十年という時間が経過してもなにも変わっていない。声には不思議な普遍性がある。


2013/03/24

2013年 3月1日~16日

3月1日
汐留の資生堂オフィスにて、スペイン大使館のHPのためのインタビューのあと、花椿編集部、資生堂ギャラリー
の皆さんと打ち合わせ。ずいぶん時間が遅れたが、なんとか写真弘社にたどりつき、プラドで撮影したポジの
トラブル解決について打ち合わせ。
夜、表参道のスパイラル地下レストランで催された小池一子さんの喜寿を祝う会に参加。
パーティ途中で出て、大阪に戻る。

3月2日
京都にて、ヨコトリに関する小人数による内部会議。
そのあと、横浜美術館の天野太郎さんと2軒ほど京都のギャラリーを見学。加須屋明子さんに会う。

3月6日
ヨコトリ学校講師としてレクチャーを行う。
レクチャーをやりながら、ヨコトリの構想を様々考えるが、なかなか結論にはいたらない。

3月8日
広島にて打ち合わせ。

3月10日
大阪にて大村さんといくつかの用件で打ち合せ。
その後、林寿美さんと打ち合わせ。

3月11日
第二回のヨコトリの内部会議を横浜にて。
なかなか結論が出ないまま、私自身の宿題をたくさんもらって会議を終える。
疲労コンバイ・・・。

3月13日
秋の資生堂ギャラリーでの個展のための衣装仮縫い、打ち合わせなどを大阪にて行う。
東京からは、衣装担当の森亮介さん、資生堂ギャラリーの豊田佳子さん。
大阪組は、福永一夫、大村邦男、小池勝行、吉田恵子、井野敬裕。
夜8時前までかかってしまう。

3月15日
映画「ヒッチコック」試写。日経映画評のため。

3月16日
ヨコハマフレンズのトーク。準備時間がまったくなく、午前4時過ぎに起き、練習を開始。
トークはなんとかやり終える。明日からドバイとシャルジャに行くため、トーク後はあわてて大阪に戻る。