「ときどき日記(ベニスへの旅)」 5月28日〜6月7日

5月28日
関空11時30分発のエアフランス機、少し揺れるが定刻より30分早くシャルルドゴール空港着。2Eから2Fターミナルへ移動。ベニス乗り継ぎに4時間待ち。眠気が襲う。
ベニス・マルコポーロ空港に着いたのは28日の午後11時半。
KLM機でほぼ同時刻着の横浜美術館の逢坂さん、柏木さん、ウーファードキュメンタリーの岸本さんらと落ちあう。前日入りの横浜チームのお出迎え。水上タクシーで一日目のホテル GRIMANIへ。前日入りの大舘、マチュー、秋ちゃん一家にこんばんは。
就寝午前1時半。

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写真00:雨のベニスに到着

5月29日
7時半起床。
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*写真01:ホテルGRIMANIの朝。

いくつかの夢を見る。
背中に傷をつけ文字を刻む女性の美術家。
街のひっそりした路地で、まったく認められない自作の演劇の宣伝のため、プラカードを持ち続ける男性。
スロベニアの小池健輔さんとホテルにて落ちあい、今日から3日間宿泊予定のホテル、リスボナへ移動。ベネチアビエンナーレ会場、ジャルディーニの日本館前で横浜トリエンナーレチームと合流。各国パビリオンを回る。
南條史生、三木あき子、逢坂恵理子、そして森村という歴代の横浜トリエンナーレ関係者がなぜか韓国館で出会う。
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*写真02:向かって左から、逢坂さん、三木さん、南條さん、そして森村

フランス館、ドイツ館、アメリカ館、イギリス館などからはじめ、しらみつぶしに見て行くが、あまり感動はない。オランダ館、チェコ+スロバキア館が気になった。
イタリア館(ここはイタリアのパビリアオンではなくテーマ館で、アーティスティックディレクターの主張性を出す重要な場所)をじっくり鑑賞。物質ではなくイメージに軸足を置いた展示。
大竹伸朗の本の作品。日本で見るのとはまったく違って見えて興味深い。
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*写真03:アメリカ館展示

夕刻、三嶋りつ惠展会場に向かう。クラシックなパレスにガラス作品が並ぶ。美しい展示。
中庭にパーティ会場が設営されていた。突然雨。それもまたベニス。
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*写真04:三嶋りつ惠展より

8時頃から移動。ベニス料理のリストランテでパーティ。小池一子さん、小林正人夫妻らと話をする。もちろん三嶋りつえさんとも。
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*写真05:パーティでの美味なベネチア料理

パーティはまだまだ続いていたが、途中で退席し、夜遅くホテルに戻る。
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*写真06:ホテルへの帰り道(撮影 小池健輔)

6月30日
9時半から横浜トリエンナーレチームとのミーティング。その後、小池健輔さんとビエンナーレのもうひとつの会場であるアルセナーレに行く。古い造船場跡の広大なスペースである。1988年に私が参加したのもこの会場だったが、今はさらに多くの敷地が使われている。
こちらもアーティスティックディレクターの腕の見せ所。シンディ・シャーマンが自作のソースになったと思われる秘蔵アルバムを展示がよかった。シンディのやりたかったことの原形がここにある。

アルセナーレのさらに奥には、南米、中近東、東南アジア、中国などの展示。
中国の展示は最悪。今は公表出来ないが、会場にて数名の作家と立ち話。ヨコトリ出品を前提としての話である。

夜、ホンコン館リー・キットのパーティに出席する予定だったが、疲れがたまり辞退。
小池健輔、岸本康、そしてベルリンから来た渡辺真也らと意見交換。

5月31日
午前から、プラダファンデーションの展示を観に行く。小池健輔、渡辺真也が同行。
1968年に開催され、その後の美術の動向を作ったとされるハラルド・ゼーマンの有名な展覧会「態度が形になるとき」を再現した展示。ボイス、セラ、マリオ・メルツら、今は巨匠だが、まだ若かった頃の当時としては冒険に満ちた試みだった。
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*写真07:プラダファンデーション、会場入り口

1968年当時、「作品自体ではなく、制作する態度自体が形になる、あるいは形にすべき」そういう時代であった。今はどうか。「態度がもはや形になりえない」時代? 

午後、渡辺さんと別れ、小池健輔とともにアルセナーレの見落とした作品を観に行く。
その他、ベネチアの各所で開催されている新しいパビリオンや関連展があり、すべてを見る事は不可能だが、いくつかをチョイス。スロベニア館で、一色よしこ、大舘奈津子さんと合流。小池君参加のグループ展を観たのち、リドに渡り、日本館・田中功起さんのパーティに主席。田中功起さんの他、ホンコン館のディレクター、ラルス・ニッテバに会う。20年ぶりかもしれない。その他、オーストラリアのニューサウスウェールズ美術館のジュディ・アニアー、MOMA のバーバラ・ロンドンらにも会う。ビエンナーレとは、こうしたいわゆるアートピープルの社交場であり、ロビー交渉の場でもある。ともかくいろいろなひとに会う。
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*写真08:日本館パーティ会場にて

途中でパーティ会場を出て、ベネチア本島のリストランテでやっているという大竹伸朗のパーティ会場へ行く。大竹にあって、なんとなく友情を確かめあう。
そのあと、すこし離れた島に渡る。スペイン館の大きなパーティ。この会場でマドリードでいつもお世話になっているギャラリーのホアナさんに会う約束だったのだが、どうも来れなくなったらしい。いたしかたなく、一色、大舘、小池健輔らとパーティ会場のブッフェで腹ごしらえだけして、また船で帰る。雨が降り出す。たまたまパーティ会場でタイのビエンナーレのアーティスティックディレクターに会う。

6月1日
ホテルがまた変わる。ロンドラパレスに移動。眺めのいい部屋。
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*写真09:ロンドラパレスからの眺め

午前中に、若い作家対象のフューチャーズプライス展を観に行く。けっこうおもしろい。
午後からはクロワッサンプレミアムの取材が開始。担当編集者の齊藤賢治さん、コーディネーターの坂本きよえさん、写真家のFrank Vaughanさん達と落ちあい、打ち合わせ。まずは島全体が墓地となっているサンミケーレ島に行く。小池健輔さんも同行。ディアギレフやストラビンスキー夫妻のお墓にお参りする。
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写真10:サンミケーレにて

6月2日
早朝6時半から、ドウカーレ宮殿の、ベロネーゼとチントレットを取材。無人の宮殿内を見て回るのは贅沢至極。
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写真11:ドウカーレ宮にて

お昼は、ハリーズバーにて。有名なカクテル、ベリーニ。ミラノ料理の牛の骨の髄を煮込んだリゾット(オッソ・ブーコ)などを食す。これも取材。
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写真12:ハリーズバーで食したオッソ・ブーコ

午後からは、ビエンナーレ会場の取材。
その後、アマンリゾートがベニスにオープンしたというホテルにて夕食取材。
一泊最低1000ユーロ、最高の部屋は3500ユーロ。パレスを改装した豪華ホテルである。
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写真13:アマンリゾートのホテルにて

夕食は美味。
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写真14:ズッキーニの花を食材にしたオードブル

6月3日
朝から強行軍で、ベネチア派の絵画鑑賞素材を行う。
フラーリ教会のベリーニ、ティッツアーノ。
お隣のサンロッコでは、ティントレット。
お昼をはさんで、ジュスティアーノにて、ティエポロ。
途中で、ジャンドウイオットのジェラートを食す。ナッツ入りのチョコアイスが美味だが、上にたっぷりかかるホイップ状のクリームが濃厚すぎて、全部は食べられない。
ジャラートを食べたあとは、アカデミア美術館へ。
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写真15: ジャンドウイオットのジェラート

アカデミアでみたベロネーゼとジョルジョーネ素晴らしかった。なんだかティントレットがだんだん下品に感じられて来る。
予定より早く取材が終わり、ベネチア刺繍の店に走る。5時には閉店で、これでじつは三度目のトライ。やっと店にはいれる。もう本格的なベネチア刺繍の職人さんは数人しかおらず、みんな高齢だとのこと。すたれいく技術。もったいない。
今宵が最期のベニス。齊藤さん、きよえさん、フランクさん、そして小池のケンちゃん、お疲れさまでした。そしてありがとう。というわけで夕食は楽しく終了。

6月4日
午前7時半、水上タクシーでベニスマルコポーロ空港へ。
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*写真16:さらばベニス

パリ着後、すぐにラビレット地区のホテルにチェックイン。某作家のアトリエに、パリ先着の横浜美術館の天野さん、ブリュセルからの大舘さんらと訪問。出品交渉。
その後、国立図書館の展示室で開催の、ギー・ドウボールの資料展を見て後、天野さんはジュドウポンヌへ。私と大舘さんは、マレー地区のタディウス・ロパックギャラリーに行き、ひさしぶりにエレナに会う。
7時前、天野さんとも合流して、クスクスを食す。

6月5〜6日
午後のフライトでシャルルドゴールを発ち、6日の関空着。疲労がドッと出る。
日本は、知らない間に、とんでもなく蒸し暑くなっていた!!