2013/03/31

2013年3月17日〜30日

3月17日〜18日
17日23時40分発のエミレーツ航空でドバイに飛ぶ。
消灯すると天井が星空になるジェットは、「月の砂漠」を連想してしまう。
18日、午前6時前、ドバイ国際空港に到着。大舘さんと待ち合わせてホテルに向う。
少し部屋で休み、午前10時からバスで、ドバイ市内のギャラリー見学などを行う。アート・ドバイ(ドバイ アートフェア)の企画。

写真1
写真1 ギャラリーツアー/某所にて

夜9時半、横浜美術館の天野太郎さん、ホテルに到着。天野、大舘、私の三人で食事。酒類は市内には基本、どこにも売っていないし、レストランでも飲めない。
写真2
写真2 ドバイに咲くブーゲンビリア

3月19日
午前10時から、建築バスツアーに参加。ドバイ市内を巡る。これもアート・ドバイの企画だが、建築ツアーというよりは、ほとんど東京のハトバス観光だった。午後からは、巨大なドバイ・モールなどをすこしだけぶらつく。
写真3
写真3 ドバイの摩天楼

夜7時から、アート・ドバイのプレヴュー。大勢のひとでごったがえしていた。ここには酒類がある。シャンパンを飲む。いくつかの作品をチェックリストにのせる。
夜遅く、天野、大舘、私の三人で夕食。ホテルと連携するガーデンスタイルのレストランのため、飲酒がOK。ビールとワインをいただく。

3月20日
朝早くからシャルジャに行く。シャルジャ・ビエンナーレを見る。長谷川祐子さんのキュレーションで、おおきく3箇所にわかれて展示が展開する。
事務所で、シャルジャの王女様にお会いする。陣頭指揮で活動されているのが素敵だった。あとで、会場でギャラリーツアをなさっていたのも目撃した。
ビデオ作品が多く、見るのに時間がかかる。暑いが不思議と汗が出ない。大きなタオルを準備したが不要だった。
単に乗り合い舟に乗って、向こう岸に渡りアイスクリームを食べるというだけの、島袋道浩さんの「作品?」もあった。
会場で、かつて原美術館にいた、ジュディス・コナーグリアさんに会う。シャルジャ・ビエンナーレの広報担当を受け持っているのだそうだ。
午前からまわり、夜の七時までみっちり作品鑑賞。大舘さんは、展覧会に行くと、アドレナリンが体内に充満するという。スゴイ。私はやはり「見る」より「作る」の人か。いや、「作る」より「妄想」のほうが好きかも。
夕食は、天野、大舘、私とでシャルジャの魚料理の店へ。偶然、同じ店で長谷川祐子さんに会って驚く。

3月21日〜22日
予定に「22日午前3時」のフライトとあったので、22日の深夜=23日の早朝と解釈してしまい、まだ一日あると安心していたら、もう21日の夜の出発だとわかり慌てる。大急ぎで荷物をスーツケースにつっこみ、21日の予定をこなす。
天野、大舘、森村の三人で、ドバイのギャラリーエリアを見学。
行く所すべて車しか行けず、なかなか要領を得ない。こういう時、天野さんには特異な才能がある。なにげなく声をかけて知らない人の車に途中まで同乗させてもらったり、ふと目があったドライバーが車を止めてくれたりする。最後の目的地、「Traffic」というギャラリーに行く時もそうだった。路頭に迷っていると、天野さんと目があった車が止まってくれた。大雑把な地図を見せると、行ってみようということなったが、行けども行けども目的地にはたどり着けない。親切なドライバーもだんだん気が立って来る。しかしここで降りるわけにもいかない。降りたら、完全に路頭に迷うことになる。だんだん夕暮れになってくる。
しかしついに、「Traffic」という看板が目にはいった。
写真4
写真4 「Traffic」という看板

「Traffic」は、芸術と政治の関係をあつかうプロジェクト集団であるということが、行ってみてわかった。実際に「New World Summit」という会議をベルリンその他で開催し、それらがこのチームの「作品?」だということのようだった。
写真5
写真5 「Traffic」にて 

午後9時すぎにホテルを出て空港へ。
夜になってもドバイ空港は人がいっぱいだった。
たくさんのお土産物屋が並ぶがイマイチな感じ。
シャルジャあたりの荒物屋さんとかにあったエスニックな魔法瓶とか、買っておけばよかった。お土産はそのとき買わなければもう手に入らない。これ、鉄則である。

22日
午後5時すぎ、関空に到着。
ドバイにはいって二日くらいは、まだ花粉症の影響が残っていた。
しかしその後、花粉症は消えていた。
風が吹くと砂塵が摩天楼の町並みに舞う。

24日
国立国際美術館「WHAT WE SEE」展、最終日にやっと見る。
30日
京都市立芸術大学のギャラリーアクアで開催中の「犬と歩行視」展の関連イベントに参加。
目を閉じると、様々な知人の声。その声は、何十年という時間が経過してもなにも変わっていない。声には不思議な普遍性がある。