2013年2月5日~21日
2月5日
京都にて、ヨコトリ関係の打ち合わせ
2月7日
大阪に横浜美術館の天野太郎さん来訪。ヨコトリのコンセプト、作家選定などについて、きわめて私的なレベルでの意見交換をおこなう。
2月12日
プラド美術館での撮影を控え、なかなか現地での大型カメラの手配がうまくいかず、結局すべてを日本で準備することに。この時期に来てこの変更はかなり衝撃。
夕方、同行する写真担当の福永一夫さんが、レンタルショップでフィールドタイプの4X5カメラのボディを借りて来る。ひどい代物で使い物にならないことが発覚。雨の夕暮れ、急遽、カメラを購入することになり、福永さんと走る。カメラ購入。
2月13日
荷物を詰める。カメラ機材があるので、預ける大きいスーツケースが2つ。手持ちのキャリーバッグとショルダー。すべてパンパン状態。
2月14日
福永さんとふたりで、関空からパリ経由でマドリードへ。パリで大舘奈津子さんと合流。
夜、マドリード着。
2月15日
日中にプラドの下見。
夜、閉館後に「ラスメニーナス」の部屋を撮影。
照明状態がイマイチで、技術者にいろいろやってもらっているうちに、すぐ1時間半ばかり過ぎる。与えられた時間は4時間。だんだん疲れが出て来る。
ギリギリでなんとか目的のショットは撮り終えるが、現場に来ると、やはりあれも撮っておきたい、これも‥‥とアイデアが湧く。しかしこれはあきらめる他はない。
深夜、ホテルに戻る。鼻水が出る。咳がひどい。寝苦しい。
2月16日
ARCOアートフェアに行く。空港近くの巨大な展示場に、山のように人が来ていた。スペインは不況なのだが、なんだか雰囲気は明るい。
しかし私は体調がだんだん悪くなって来た。大舘さんは、展覧会会場に来ると、アドレナリンが体内に増産されるのを感じるそうだ。ひきづられるように、私も会場を見て回る。
私がいつも個展をするマドリードのギャラリー、ホアナ・アイズプリも出展。私の作品も展示されていた。
いくつかのおもしろい作品を発見。ヨコトリリサーチとしては、すこしばかり成果あり。
夜、ホアナさんの招待でディナー。スペインの日本大使館勤務の山口憲一さんも招待する。
なんと10時開始。遅い夕食は、スペインでは常識的だが、やはりなれない。
2月17日
9時の新幹線でセビリアへ。体調、最悪となる。寒いのに汗が出る。体がだるい。頭痛。鼻水と咳もひどくなる。
11時半、セビリア到着。イスラム教とキリスト教が混交した町並みが美しい。ベラスケスの生家、それにムリーリョやスルバランが見られる美術館にも行く。元修道院だった美しい建築だった。美術館に行くタクシーの中に、これから会う約束のあるセリアセル・カンシーノさんへのお土産が入ったバッグを忘れる。
*写真は、ベラスケス生家前で(撮影:福永一夫)
2時に、エリアセル・カンシーノさんと会う。待ち合わせ場所は、ヒラルダの塔の下。奥さん、娘さんも連れ立ち、家族総出のお出迎えにちょっとびっくり。
カンシーノさんは小説家で、『ベラスケスの十字架の謎』という小説を書いておられる。「ラスメニーナス」を巡る想像力豊かな物語で、この作者に会いたくてセビリアに来た。
カンシーノさんに旧ユダヤ人居留地など、異国情緒あふれるセビリアを案内してもらった後、とあるホテルの一画でインタビュー。
*写真は、小説家カンシーノさんと(撮影:福永一夫)
午後6時半頃の新幹線でマドリードに戻ったが、体調は最悪になる。夕食もとらず、ベッドに倒れ込む。
2月18日
午前9時過ぎのフライトでマドリードからパリを経て、19日に関空着。
帰りの機内ではずっと寝ていたが、けっして安眠ではなかった。結局、機内でやろうとしていた仕事はすべて持ち越しとなった。
しかし、プラドの撮影、ARCOリサーチ、カンシーノさんへのインタヴューと、当初の目的は果たせた。以前から行きたかったセビリアにも行けた。ベラスケスや「ラスメニーナス」についても、いろいろ考えさせられた。その意味ではいい旅ではなかったかと思う。
2月21日
東京の一色事務所にて、ウォーホル美術館の若いキュレーター、ニコラと打ち合わせ。
今年秋のウォーホル美術館での個展の内容についてである。私の個展とともに、私のキュレーションによるウォーホル美術館のコレクション展企画も提案された。
ニコラのあと、大正大学の君島彩子さんのインタヴュー。君島さんは、信貴山縁起絵巻をテーマとした私の作品についての論文を書いた。
君島さんのあと、ヨコトリの帆足さん来訪。3月の出張などについて打ち合わせ。次は、ドバイアートフェアとシャルジャビエンナーレ見学である。