11月6日
今日から鹿児島。南日本美術展の審査員である。今年で4年目。いつものように城山観光ホテルに滞在。
城山のてっぺんに立つこのホテルからは桜島が目に前で、眼下には鹿児島市街が広がる。広い温泉がある。
ここの露天風呂からながめる桜島は絶景。
*写真は11月6日早朝の桜島
月別アーカイブ: 2009年11月
今日から鹿児島。南日本美術展の審査員である。今年で4年目。いつものように城山観光ホテルに滞在。
城山のてっぺんに立つこのホテルからは桜島が目に前で、眼下には鹿児島市街が広がる。広い温泉がある。
ここの露天風呂からながめる桜島は絶景。
*写真は11月6日早朝の桜島
詩人の佐々木幹郎さんと対談する。
幹郎さんの父君であり、私の美術の恩師でもある佐々木節雄先生の遺作展会場にて。幹郎さんという
「詩人=言葉の達人」がお相手だったせいか、話をしながら「言葉ってなんだろう」とずっと考えていた。
なにごとかをうまく言葉で言い表せないと、世界の輪郭線があいまいなままで、とても気分が重くなる。
ところが、なにかの拍子で、いい言い回しを発見すると、「世界に対する解答」を得た気分になり、とても
気が晴れる。それは数学の問題が解けた時のような爽快感である。そしてこの発見した「解答」を得意げに
何度も各所で話をしたり書いたりしているうちに、次第にこの「解答」がますます堅牢になり、絶対に正しいと
いう確信にいたり、そこに喜怒哀楽さえも加わって、私は感動とともにこの「解答」を人々に話すことになる。
すると信じる言葉の強度はたいしたもので、信ずる心は他者にも伝わり、それなりの感動さえ呼び起こすことも
可能になってくる。
私は、それら言葉を巡る一部始終が「ウソっぽいな」と、いつも言葉不信に陥る。言葉は「世界の解答」なんか
ではないからである。言葉とは「ウソ」である。その「ウソ」を「ホント」と思い込む事により、人は言葉を
言葉足り得るものに偽装する。
私は、いろいろなインタビューに応じて気の効いた答えを話はするが、いつも最後に、「ええっと、今言った
こと全部口からでまかせですから、信じないように」と、口に出しはしないが、そう感じている。
2009年11月12日 (執筆・連載)
クロスボーダー REVIEW
美術家・森村泰昌が見た映画 「脳内ニューヨーク」
11月6日 露地庵先生のアンポン譚 7面 (執筆・連載)
第三十二話 ロケ地の出来事 写真:静岡県御前崎にて 9月18日
一日かけて「ジャクソン・ポロックになる」写真を制作する。
ポロックをどう表現するか、いろいろな可能性を考えつつ、やはり床の寝かせた大きな白いカンバス(私は紙を使用)に絵を描くことになる。ポロックもどきにアクションペインティングを行う。
*写真は私のアクションペインティング。
「ヨゼフ・ボイスになる」写真作品の顔だけ撮り直す。眉毛、こけた頬などがポイントだが、以外ともみあげひとつで雰囲気が変わって来るのも面白い。
ボイス顔が終了後、明後日にやるポロックの準備をする。
2009年10月31日発行 佐々木節雄・著 ながらみ書房発行 (インタビュー)
森村の高校時代の恩師・佐々木節雄氏の歌集に、雑誌「婦人公論」のインタビューに応じて
語った、「我が心の師 佐々木節雄先生」という文章が掲載されています、p178-183。
(なお、この文章は「婦人公論」平成21年2月22日号に掲載されました。)