2009/11/02

10月20日

たまたま聴いていたラジオで、渋柿の話をしていた。
最近は品種改良で甘い柿がフツウになったので、柿や、それに栗の皮の持つ渋みという感覚が消えてしまったという。こんなふうにして「困った存在」は世の中から失われ、それとともに感覚が鈍化する。
「渋味」なんて感覚は、世界の大局からすればどうでもいいような「世界の細部」にすぎないが、細部へのキメの細かな配慮が欠けると、人間も世の中も粗雑で荒っぽくなっていく。