2009/10/08

10月6日

091006午前に一件、午後から二件、対談を行う。
午後からの最初は、草月流の勅使河原茜家元との対談。新宿エプサイトギャラリーの私の個展「魔舞裸華視」の会場で家元に花を生けていただき、その前で対談。「前代未聞の表現」というテーマを中心にいろいろなお話しをする。
黒い花器に黒く塗った枝の重厚。密集する深い赤の花。繊細に飛び交う色花。水平に日本刀で切ったような上部の大胆。三つの要素がさりげなくからみあっている。今回の私の個展は色曼荼羅だったが、「私の好きな色合いでした。すべての作品に紫がありますね。特に、こういう紫が私の一番の好みでもあるんです」との家元の御意見を聞き、色彩のバイブレーションを感じる。
いろいろな仕事を済ませ、大阪帰宅は10時過ぎ。台風が近づいていることをはじめて知る。
*写真は、家元の花と私の作品。色の競演。


10月5日

091005午前9時前、草月会館のシャッターが閉まっている前で、全員集合。シャッターが開き、すぐにホールへ。舞台の装置を作る者。ビデオ機器のセットを始める者。午後からの人員整理の打ち合せや準備をする者。舞台での衣装を修正する者。いくら人がいても足りない状態。私は楽屋でメイクなどの準備をまず始める。NHK取材陣、そして写真家ベンジャミン・リーさん達も来て、かなり混乱しはじめる。
やっとすべての準備がそろったのはお昼前。それからまず兵士の姿でのピアノ演奏のシーンをスタート。いくつものカットが必要なので、続けて一気にやってしまう。
その後、スタッフは休憩、食事に入るが、私はこの間にマリリン・モンローに変身しないといけない。兵士がマリリンになってゆく過程を写真に撮りたいというベンジャミンのリクエストにもなんとかこたえつつ、4時過ぎ、やっとマリリンへの変身が完了。マリリンによるピアノ演奏のシーンを撮影。なんとか、観客無しの状態での本番撮影は6時に終了。
午後7時、ほぼ満員となった草月ホールにまずは司会者の松蔭さんが出て行く。続いて撮影の岸本さん壇上に登場。その後、マリリン/モリムラが舞台に出て行き、ピアノ演奏。と同時に仮編集の映像作品「海の幸/戦場の頂上の旗」を上映。この仮編集映像に今回草月ホールで撮った映像をあわせて完成作品に仕上げるのである。
私は楽譜が読めない。体育と音楽が小、中学校での苦手な科目だった。その私が大勢の人々の前でピアノ演奏をする。1956年に作られた赤いベーゼンドルファー。武満徹、ジョン・ケージ、ヨゼフ・ボイス、高橋悠治など名だたる表現者がつきあってきた、いわば日本の戦後の芸術とともに生き残ってきたピアノである。これを弾くとはなんという思い上がり。でもなんという光栄。
テクニックはおそまつだ。しかしひとりで練習は積んだ。とはいえ我流である。いろいろな迷いもあるが、ともかく「心」で弾こう、と妙な精神論に至り、意外と無心になれる。
舞台での収録のすべてが終わり楽屋に戻る。これで終わりじゃなく、楽屋でマリリンが兵士に変身し楽屋を出て行くというシーンを撮らないといけない。これを9時までにやり終え、すべて終了。
ホテルにいったんもどり、10時すぎ、打ち上げの居酒屋へ行く。周りの人々はかなりの達成感で興奮気味である。御前崎から草月ホールの撮影までをクリアするのは、ほとんど奇跡に近い業だったからである。しかし私自身はなぜだか興奮はない。妙に静かな心境である。たんたんとやるべき事をやる。出来なかったら、それはそれで仕方ない。就寝は午前2時。
*写真は、滞在ホテルの窓からの風景。草月ホールではさすがに写真を撮る暇はなかった。


10月4日

午後に東京入り。東京都写真美術館で5日の催しの打ち合せを行う。
600人からの参加者をどうやって問題なく短時間で誘導するか。午前9時から午後9時までの限られた時間内にすべての本番撮影をどうやってこなすか。午後7時から8時までの600人参加の催し内容をどのようなものにするか。打ち合わせ事項が山のようにあり、長時間の会議となる。ぐったり疲れて終了。
司会をお願いしたアーティストの松蔭浩之さんはもちろん今回がはじめての参加。いろいろな人が集まり素敵だが、ほとんど表現世界のルツボと化し、雪崩をうって明日を迎える事になりそうな気配。