てんとう虫(UCカード機関誌)
2009年10月号 (対談) (執筆) (執筆・連載)
特集:美を鑑る ”鑑る”とは自分を見つめること 対談 赤瀬川原平x森村泰昌 p22-25
モリムラ流美術鑑賞五カ条 p26-33
この秋おすすめの展覧会 「速水御舟-日本画への挑戦」 p42
月別アーカイブ: 2009年9月
2009年10月号 (対談) (執筆) (執筆・連載)
特集:美を鑑る ”鑑る”とは自分を見つめること 対談 赤瀬川原平x森村泰昌 p22-25
モリムラ流美術鑑賞五カ条 p26-33
この秋おすすめの展覧会 「速水御舟-日本画への挑戦」 p42
9月18日 露地庵先生のアンポン譚 7面 (執筆・連載)
第三十話 原平さんに会う (写真:ちょっとだけ「トマソン」/街の抽象画 ニューヨーク 2007年)
2009年9月17日
ぶんか探訪 森村泰昌さんと行く大阪・鶴橋 新旧混在、日常に面白み
2009年9月10日 (執筆・連載)
美術家・森村泰昌が見た映画 「九月に降る風」
2009年9月9日 (執筆)
だまし絵の楽しみ③ コルネリス・ノルベルトゥス・ヘイスブレヒツ「静物-トロンプルイユ」
刺激される快感
9月10日
だまし絵の楽しみ④ チャック・クローズ「ジョー」 逆転「写真だまし」
9月11日
だまし絵の楽しみ⑤ ルネ・マグリット「白紙委任状」 不思議体験チラリ
朝から、ピカソのポートレイト写真を、私の顔の大きさになるまで拡大コピーして、目の部分を切り取り、自分のまぶたに貼付けてみる。つまり昨日から問題になっている「ピカソの目」の問題を解決するために、「ピカソの目」をピカソさんからいただいて、私自身の目のかわりに「ピカソの目」を移植してみようと考えたのだった。「ピカソの目」をもらい、ピカソの眼差しになろうというわけである。
この試みがおもしろいのは、「ピカソの目」をまぶたに貼付けた時、とうぜん私は目を閉じなければならないのだから、外界を見る事が不可能になる。そういう内なる眼差しになるという点である。ピカソは明るい光のような存在である。その光を内なる光としてとらえないとけなくなるという、そういう眼差しの体験はちょっと気になる。
午後からテレビ取材陣、カメラ雑誌の人々なども含む、いささか混乱した環境のなかで準備が始まる。メイクが終了し撮影にはいる。やはり「目」がうまくいかない。なんどもトライするのだが、もうひとつ、よくない。途中で、例の「ピカソの目」の移植に切り替えるが、思ったほどおもしろくないので、すぐにやめ、やはりナマの私の目でピカソの目チカラを出そうと悪戦苦闘する。
ポラ写真を27枚ほど撮影、ポーズのチェックを繰り返しているうちに、自分の中に「ピカソになるパターン」のようなものが育ってくる。ちょっとリキミがとれて、自然なまとまりになってくる。すると、スーッと、間近にピカソがいる状態になる。劇的でもなんでもなく、日常のありふれた一コマの生活者としてのピカソが現れて、「ああ、ピカソさんだ」と納得できる気配が満る。
完成形が生まれ、後片付けをして、17日からはじまる御前崎でのロケの打ち合わせや実験をやり、テレビ取材のインタビューを終えて、帰宅は午前零時を回った。
*写真は、「ピカソとしての私」のスナップ風景
「ピカソになる」写真撮影、一日目。扉、棚、テーブル、調度類の設営、カメラ位置、照明の決定、カツラの毛の植毛などを手分けして進める。夜になって、テスト撮りをする。雰囲気は出来てきた。しかしまだピカソではない。何が問題か。たぶん「目」だ。ピカソの強い「目」の光が生まれないと、ピカソは蘇らない。「目」が明日の課題になるだろう。
*写真は、設置の終わったピカソの部屋