2009/09/23

9月21日『帰還』

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雲まじり、おおむね晴れの空。
撮影の残りである、自転車を押す日本兵1名とアメリカ兵5名が出会うシーンと、行軍シーンの一部をやり終える。
日本兵がアメリカ兵と出会ったとき、驚きあわてふためき、再び自転車を倒してしまうのだが、今回は見事に積んであったヴィーナスのトルソが砕け散る。
だが、誰もあわてない。瞬間接着剤を買って来て、田中君を中心に、砕けた破片をパズルのようにはめ込んでいき、修復が終わる。陽が落ち始めると想定している状態の撮影が不可能になるので、実際にはみんなにいら立ちが募ってくる。でもだからといって慌てても打開策はない。このあたりの精神状態の制御はなかなか難しい。きっと実際の戦場でも同じだろう。
なんとか張り合わせたヴィーナスも使い、兵士全員で海辺を行軍するシーンが繰り返し始まった。これは青木繁の有名な絵画「海の幸」の構図を念頭に置いた絵作りである。海から表現や芸術の道具、材料が流れ着く。それら海の幸を収穫し、人間の歴史や社会や生活といった様々な戦場の、その頂上に登り、そのてっぺんに芸術の旗を立てたい。ではその芸術の旗とはどんな旗なのか‥‥‥。

すべてが終了して、掛川から新幹線で新大阪まで帰り、家に戻ったのは午後9時半すぎだった。ロケ日程が長引く可能性もあったが、なんとか実質4日でやり終えた。みんなの疲労具合からすればベストの日程だったと思う。
手の平や首筋が赤く腫れている。日焼けだけでなく、湿疹もたくさんある。手の平は赤黒い。体質が変わったのだろうか、今年の初夏あたりから紫外線にアレルギー反応を起こすようになってしまった。風呂場の鏡で顔を見ると、顔相が変わっている。戦争に行くと人が変わったようになると聞く。まだ、波の音が耳の奥で聞こえている。
*写真は、青木繁風の行軍風景(先頭の私が離れ、写真を撮っている)


9月20日『戦場/再び頂上に旗を立てる』

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快晴。一片の雲さえもない青空。
「硫黄島に旗を掲げる兵士達」をテーマにした撮影をもう一回行う。ビデオでの撮影は昨日終了したので、今回は大型カメラによる写真撮影である。
動きをストップさせるので、細部の見え方や静止したときのポーズが厳密になってくる。動くのではなく、決まったポーズで動かずにじっと我慢しているのは、拷問に近いとさえ言える。

写真撮影終了後、初日に曇り空のもとで撮影した「白い布を干すシーン」を青空のもとでビデオ再撮。
その後、行軍のシーンを何カットかビデオで撮影し、全員くたくたになる。
*写真は、晴天下の物干シーン(実際はこの道具立ての前に日本兵の私がしゃがみ込み、水筒から水をラッパ飲みするシーンとなる)


9月19日『戦場/マリリンと頂上の旗』

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午前6時前に起床。ホテルの部屋でメイクの準備の後、マリリン・モンローのメイクに入る。体全体を白く化粧する必要もあるので時間がかる。
8時過ぎに先発隊が海辺に出発、向こうで準備にかかる。私は9時過ぎにホテルを出て、青木君の車で現地に向かう。
現地では、佐谷周吾さん、フォトグラフィカの沖本さんとライターのタカザワさん、兵庫県立美術館の江上さん、豊田市美術館の都筑さん、美術手帖ライターの山内さんらも合流。
午前、薄日の射す空の下、波は大きかった。マリリン・モンロー登場のシーン、服を脱ぐシーンなどを撮影。ヒールのかかとを砂につけるとググッと沈み込んでしまうので、ずっとつま先だけで立っていなければならない。でも優雅さは必要である。これが長時間に渡るとかなり厳しい。無理なことをしているわけだが、そうやって生まれてきた「自然な感じ」は「自然なんだけど不思議な感じ」に繋がっていく。そう期待して耐える。
*写真1は現場に向かうマリリンメイクのモリムラ

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マリリン・モンローのシーン終了後、撤去。時間が押しているため、一同コンビニでほとんど立ち食い状態で食事を済ませ、すぐに移動。「戦場の頂上の旗を揚げる」の撮影場所へ行く。
旗を揚げる山の頂上となる小高い砂山を荒れた雰囲気に演出するため、全員で流木などを拾って来て積み上げる。じょじょにそれらしくなって来る。
夕暮れをねらってビデオが回る。風の状態が予想をはずれあまり吹かないので、旗のはためきに苦労するが、夕景の空の状態はベスト。沈み行く夕陽を背景に旗を立てるシーンを撮る。私の正面からのカメラで、「報告します!」ではじまる私のセリフのシーンもおさえる。練習ではとちってばかりいたのに、本番では失敗なく何テークもやれたのは不思議というほかない。
沈み行く夕陽を背景に様々なシーンを岸本さんのカメラがおさえる。
御前崎の夕陽はいろいろなイマジネーションを引き出してくれた。日本神話の世界にも通じる奇妙な気配。夕陽は、ある時は青春のシンボルであったり、BGMになにが流れるかで、昔の刑事ドラマのタイトルバックにさえなりうるが、御前崎ではそういう連想は湧かなかった。横山大観は好きになれないが、大観の日輪は、ほんとうにあるんだなと実感する。
硫黄島に旗を掲げるシーンをいくつものイマジネーションへと横滑りさせてゆくのが、今回の大きなテーマであった。特に「実際の硫黄島ではアメリカ海兵隊は当然のごとく星条旗を戦場の頂上に自分達のアイデンティティとして掲げたが、あなたならあなたの戦場にどんな旗を掲げますか」というのが今回の横すべりさせるイマジネーションの重要なものだった。しかしそれで終わりではないのかもしれない、という「続き」を感じる。
マリリン・モンロー、血のドレス、アメリカ兵、日本兵、夕陽、海、空‥‥。役者はそろった。もう一度、絵コンテを見直したい。当初の計画から、おおいに横滑りしてしまって、意外な地点に着地する可能性もありそうだ。
*写真2は、夕陽を背景に休息する兵士達。明治時代の古代神話を扱った油絵を思い出す。


9月18日『戦場/海辺』

090918曇天。
午前から、御前崎での最初のシーンをビデオ撮影する。
海辺を古い運搬用自転車を押しながらよたよた歩く日本兵のシーンである。
自転車の荷台には、楽器、絵具、スクッチブック、カンバス、T定規、トルソ、花など、表現や芸術を象徴する物品を載せている。この載せ方自体が絵になっていないといけないので、いろいろ工夫する。自転車や載せる物品を浜辺までみんなで運ばないといけない。重い撮影機材もある。行軍という様相を呈する。
よたよた歩く日本兵が倒れ、自転車も横倒しになるシーンまで敢行。自転車が横倒しになると当然、荷台の荷物も地面に叩き付けられる。自転車や荷物が、その結果どうなるかわからないが、やらないわけにはいかない。倒れる演技をする私の耳もとで鈍いグシャッっという音。あまりよい響きではない。交通事故に遭遇したかのようである。どういう状況かは日本兵役の私にはすぐにはわからない。「カット!」の声がはいるまで、砂浜に倒れたまま動いてはならないからである。
カットがはいり恐る恐る倒れた自転車を見る。案外無事だった。荷物もガタは来ているようだが致命的ではない。

午後、マリリン・モンローが脱ぎ捨てた、砂上の白いドレスが血で染まるシーンと、その血のドレスを海で日本兵が洗い、洗っているうちに純白の白い布のかわるシーンを撮影。すべてやりなおしが利かないので、ぶっつけ本番の賭けとなる。
海でドレスを洗うシーンで、予想外の波が押し寄せた瞬間があった。押し寄せる波も怖いが、それが引いて行くときが危ない。引きずられまいと必死にふんばって洗い続ける。このシーンが終わり海から出ようとすると足が動かない。波とともに砂も押し寄せてきていて、足首まで砂に埋まっていたのだ。

夜、大阪から新幹線で大村邦男さん、山口繁雄さん、吉田恵子さん。車で荷物を積んで田中之博さんが合流。みんな兵士役なのだが、演技だけでなく、本当に兵士のようにいろいろな作業もお願いしなければならない。しかしその夜は、まずは前祝いの乾杯、そして夕食。
ホテルに戻り、岸本さんの17日撮影ぶんをみんなで鑑賞、明日の段取りを打ち合わせする。
*写真は浜辺に倒された自転車


9月17日『出発』

本日より、御前崎(静岡)で硫黄島作品のロケ開始。
午後9時前に、大阪から掛川に到着。迎えの車を待つ。車がないと動きがとれない土地柄である。青木君が迎えに来てくれる。宿泊先のホテル玄に到着。
ビデオ撮影の岸本康さんと岸本チームの青木君と鈴木君。大阪から私と同行した小池勝行さんとナカヒガシユウコさん。撮影に使う古い運搬用自転車や撮影に使用する小物などを満載して大阪から車で来た写真撮影の福永一夫さん。そしてNHK取材班の城さん達。無事第一陣のみんなの顔がそろう。
「ピカソになる」撮影が13日までかかり、その翌日に絵コンテの最終版を仕上げ、15、16日は朝から晩まで、連絡や足りない小物の準備などにあけくれた。強引にロケ撮影にこぎつけたという感じ。しかしともかくも御前崎に到着できて安堵する。


てんとう虫(UCカード機関誌)

  2009年10月号  (対談) (執筆) (執筆・連載)

 特集:美を鑑る  ”鑑る”とは自分を見つめること 対談 赤瀬川原平x森村泰昌 p22-25

 モリムラ流美術鑑賞五カ条  p26-33

 この秋おすすめの展覧会 「速水御舟-日本画への挑戦」             p42 

 


産経新聞・夕刊

 9月18日  露地庵先生のアンポン譚  7面  (執筆・連載)

第三十話 原平さんに会う (写真:ちょっとだけ「トマソン」/街の抽象画 ニューヨーク 2007年)