2009年9月13日
朝から、ピカソのポートレイト写真を、私の顔の大きさになるまで拡大コピーして、目の部分を切り取り、自分のまぶたに貼付けてみる。つまり昨日から問題になっている「ピカソの目」の問題を解決するために、「ピカソの目」をピカソさんからいただいて、私自身の目のかわりに「ピカソの目」を移植してみようと考えたのだった。「ピカソの目」をもらい、ピカソの眼差しになろうというわけである。
この試みがおもしろいのは、「ピカソの目」をまぶたに貼付けた時、とうぜん私は目を閉じなければならないのだから、外界を見る事が不可能になる。そういう内なる眼差しになるという点である。ピカソは明るい光のような存在である。その光を内なる光としてとらえないとけなくなるという、そういう眼差しの体験はちょっと気になる。
午後からテレビ取材陣、カメラ雑誌の人々なども含む、いささか混乱した環境のなかで準備が始まる。メイクが終了し撮影にはいる。やはり「目」がうまくいかない。なんどもトライするのだが、もうひとつ、よくない。途中で、例の「ピカソの目」の移植に切り替えるが、思ったほどおもしろくないので、すぐにやめ、やはりナマの私の目でピカソの目チカラを出そうと悪戦苦闘する。
ポラ写真を27枚ほど撮影、ポーズのチェックを繰り返しているうちに、自分の中に「ピカソになるパターン」のようなものが育ってくる。ちょっとリキミがとれて、自然なまとまりになってくる。すると、スーッと、間近にピカソがいる状態になる。劇的でもなんでもなく、日常のありふれた一コマの生活者としてのピカソが現れて、「ああ、ピカソさんだ」と納得できる気配が満る。
完成形が生まれ、後片付けをして、17日からはじまる御前崎でのロケの打ち合わせや実験をやり、テレビ取材のインタビューを終えて、帰宅は午前零時を回った。
*写真は、「ピカソとしての私」のスナップ風景