2009年8月21日
二度目の御前崎ロケハン。午前8時20分に京都出町柳で待ち合わせ。車で一路御前崎へ。総勢4名。約4時間半で到着。ロケ候補地を探し歩いた後、数カ所で、ビデオのテスト撮影。硫黄島のスリバチ山に旗を掲げるシーン、兵士が浜辺を歩くシーンなど。夕暮れまで粘り、帰途に着く。京都にはなんとか10時半に到着。ここから京阪電車で大阪に戻る。帰宅は12時をまわる。
夜、寝ながら、いろいろ考える。この映像作品はなんなのか‥‥。自分は映画を作りたいのか。それならクリント・イーストウッドのすばらしい映画があるじゃないか。
ふと思ったことがある。これまで私が試みてきた動画作品が、「もしも写真が動いたら?」とか、「もしも絵画が動いたら?」というような想像力を働かせることだったとしたら、今回はその反対で「もしも映画が止まって絵画になったら?、あるいは写真になったら?」というような想像力を働かせることではないか。極端にいえば、紙芝居のような「一束」の映像作品。ひとつひとつのシーンを一枚一枚の絵作りとしてとらえ、それらを一枚一枚ていねいに見せて行く事で展開してゆくような、紙芝居‥‥‥。「映画」ではなく、「絵異画」。うーん、あまり気がきいていないが、映画なんだけれど、「映画とは異なる絵画」としての映像、映画なんだけれど、根は絵画であるような映像世界。これだと作れるような気がする。美術家の私が映画監督になろうなんて気はさらさらないし、映画監督になりたいのなら、美術館ではなく映画館で上映すべきであろう。
「私はどんな旗を戦場に頂上にたてるのか」、この問いへの答えも、だんだんはっきりしてきたように思う。当初の計画から、どんどん変わって行くのだが、それはとてもスリリングである。まだまだ反転力を活かせる時期だから、おおいにちゃぶ台はひっくり返そう。
ロケハンとは、場所探しであるよりは、「なにものかとの出会い」の体験である。そしてなにものかに出会うと、なにかがガラリとひっくりかえって、道が開ける。
*写真は、遠州灘を背景にした兵士の私。